楽待でコラムを書かせてもらっています。
こちらもチェックしてみて下さい。
実は、先日、リフォームが完成し、引っ越しをしました。
前より家が広くなったんですが、ここで問題が・・・
広いはずなのに、物が片付かない・・・
なんでしょう。
この片付けられない感じ。
散らかりまくっています。
日々、何気なく使っているインターネット。
もはや、必要不可欠なんですが、何が必要不可欠なんだろう?
と考えてみました。
本当の繋がりと本当じゃない繋がり。
インターネットって繋がりの概念を変えましたよね。
昔のインターネットは情報を入手する手段だった気がします。
それが、今は、人と人とが繋げる手段に。
コミュニケーションをインターネットを使って取るようになり
なんか、繋がりの概念が変わりましたよね、
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インターネットでコミュニケーションを取るようになってから寂しくなったもの
インターネットは、情報を発信するのも簡単になりましたし、コミュニケーションや連絡を取る手段としても簡単になりました。
しかし、それがが故に、寂しくなった物もありませんか?
・お正月
・クリスマス
・誕生日
こちらについて考えてみましょう。
・年賀状
新年の挨拶は減りましたよね。
年賀状も減りました。
おかげで疎遠になっている人や親族も増えたと思います、
・クリスマス
彼女、彼氏のいない友達で大人数で集まってパーティーをしていましたよね。
今でもあるんでしょうけど、気付けば、そんなに派手にパーティーをしているイメージがなくなった気がします。
・誕生日
誕生日は、フェイスブックとかでメッセージが届くぐらいになりましたね。
そう言われれば、僕も友達の誕生日の時はそんな感じです。
友達の誕生日と言う理由をつけて飲みに行くとか
集まるとか、そう言うのは減った気がします。
以前は会社の人の誕生日とかも、社内でちょっとしたお祝いぐらいはしていたと思いますが
今では、偉い人のお祝いはたまにやっているかな?って感じですかね。
要するに何が言いたいかって言うと
インターネットって簡単にコミュニケーションが取れる感じがするけど
実はコミュニケーションを減らすツールだったんじゃないのか?
って事です。
コミュニケーションは希薄なのか?
確かに、こう考えると、若い人を含む最近の人達は、コミュニケーションは苦手なのかもしれない。
一日中、スマホを見てコミュニケーションを取っている。
ただ、こう言った、形がないコミュニケーションは、ごまかせない感じがする。
常にネット上では、仲良くしている風を装っている人がいて
それで誰かを思いやっている。
昔は、新年の挨拶や年賀状でそれを伝えていた。
当然、イヤな人とはなるべく距離をおく工夫もできたと思う。
なんか、そう考えると、ネットでの繋がりは、もしかすると
繋がりを大事にしていないわけではなく、むしろ大事にしているんじゃないか?
ただ、あまりにも簡単になり過ぎちゃって、それが希薄に感じるだけなんじゃないか?
って気もしてきました。
「思いやり」は変わっていく
忙しいのに、人の家を訪ねて近況を聞いたり
大量の年賀状で、自分の事を伝える。
コミュニケーション量も膨れ上がった現代。
相手の時間や都合も考えるのが「思いやり」なのかもしれませんね。
相手の日常を気遣うと言う事ができるのが、ネットを使ったコミュニケーションなのかもしれませんね。
つながりに大事な物ってなんだろう?
確かに、久しぶりに学生時代の友人に会えたら本当に幸せです。
お互い、忘れていっちゃうのが、とても寂しい。
限られた時間の中で、友達と繋がっていられる方法って感じで、今の形に進化していったのかな?
って感じが得ています。
ふと、メッセージが届いて
「元気?」
って言われたり
「子供が産まれました!」
って投稿を見て「いいね!」ボタンをクリックする。
これを単なる「希薄なコミュニケーション」と捉えては行けない気がする。
こう言ったコミュニケーションで、すこしでも寂しさを紛らわせたり
人を近くに感じられたり。
希薄な感じがするけど、それがあるから、みんなと話したり
みんなの「今」を知ることができる。
ちょっと気持ちが弱った時、友達に会いたくなったりしますよね。
実際に会うことができなくても、こう言った事で、ちょっとでも寂しさを解消できるんじゃないかな?
って思いました。